おはようございます。医師の中村です。
今日は伊藤亜沙さんの「手の倫理」を紹介します。
「さわる」と「ふれる」。似ているようで違う言葉です。
傷口に「さわる」と言うと痛そうな感じがしますが、
「ふれる」と言うと手当をしてもらえそうな感じがします。
虫に「さわる」とは言いますが、「ふれる」とはあまり言いません。
「さわる」は一方的で、物的なかかわりなのに対して、
「ふれる」は相互的、人間的なかかわりだと言います。
話し言葉で例えれば、スピーチは伝達が目的であり、「さわる」に対応し
おしゃべりはやりとりが目的であり、「ふれる」に対応します(p 127)。
医師が患者の体を触診する場合は、「さわる」といいますが、
これは、患者の体を科学の対象としてみている、一方向的なものだからです。
人間を物のように「さわる」こともできるし、
物に人間のように「ふれる」こともできる。
どのように「ふれる」のかは、ふれる側に主導権があります。
ふれられる側は主導権を渡すことになり、相手を信頼するしかない(p109)。
ケアの場面で、「ふれて」ほしいときに「さわら」れたら暴力的に感じるし、
触診のように「さわる」が想定される場面で、過剰に「ふれる」が入ってくると不快に思われる(p7)。
ふれられる側は、接触面のわずかな力加減、波うち、リズム等のなかに、相手の自分に対する態度をよみとっています(p109)。
「ふれる」と「さわる」、本当に奥が深いです。
いろいろ考えさせられる内容が豊富ですので、「ふれる」機会の多い職種の方にオススメします。
伊藤亜沙(2020年)「手の倫理」講談社選書メチエ