生きる意味を問う
2022年8月15日

こんばんは。医師の中村です。
今日は終戦の日にちなんで、フランクルの「夜と霧」を引用したいと思います。

フランクルはウィーン生まれのユダヤ人で精神科医でもある人です。自身のナチス強制収容所での体験をもとに「夜と霧」を執筆しました。精神科医の目から、極限状態の人間がどのようになるのかが描かれています。題名の「夜と霧」とは、占領地の反ドイツと目された政治家や活動家を連行せよ、という命令にナチスがつけた名称でした。

「夜と霧」の中から、「生きる意味を問う」という一節を紹介します。強制収容所のユダヤ人たちは、いつ死ぬかもわからない極限状態におかれ続けました。中には「何のために生きているのか」わからなくなる人たちが出てきます。フランクルはそうした人たちに、どうやって答えていけばいいのか、と問うています。

「生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考え込んだり言辞を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を満たす義務を引き受けることに他ならない。」(p.130)

「何のために生きるのか」を考えるのではなく、生きていることで、目の前に次々に現れる具体的な要請に対して、
その都度、適切な態度で答えていくこと。それが「生きる」ということである、と述べています。

私が印象に残った言葉を紹介します。
極限状態を経験したフランクルの言葉だからこそ、重みがあります。
「この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。」(p.145)
「人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。」(p.145)

はたして、極限状態に置かれたときに、「まともな人間」になれるでしょうか。

V.E.フランクル(2002)「夜と霧 新版 池田香代子訳」みすず書房

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